これが一番難しい。
結構、苦労している人が多いのも学校との関係。
私も当初
「(うちの子の特性を)わかって欲しい」
と思っていたけど
先生も人間だから好き嫌いもあるし、そこまで一生懸命にならない人もいる。
子どものことは理解して扱って欲しいと思うけど力量がなくてできない人もいる。
ということが、今までの経験上わかってきたことでした。
中学に入ってそこにプラスされたのが
「仕事なので”1人の子どもに加担することはできない”というのもあるらしい」ということ。
それを感じたのは、息子が中3の時にクラス替えで友達と離れてしまい
「友達がいなくて(学校生活が)つらい」
と言って4月の後半に泣いたので担任に状況の連絡をしました。
担任は息子からの訴えを自分日記という毎日担任に提出する日記に書いてあって知っていました。
「心配はしていたんですよ。毎日、出勤で家(我が家)の前を通るので”大丈夫かな”と思って、ピンポンしようと思ったこともあって・・」
と言っていた。
きっと息子は担任がピンポンしてくれたら救われる部分もあったと思うのですが、担任がピンポンすることはありませんでした。
残念だなと思ったけど1人に加担することで、それが他の保護者に知れたら”特別扱い”みたんになっちゃうのかな・・
そんなことを思いました。
息子が小学4年生のときに担任が厳しめの人に代わり、担任から”それってどうなのよ・・”という対応をされた話を他の保護者からも聞き、担任や副校長などをやり取りをしていましたが、何だか埒があかない。
その時にしょうちゅう愚痴を聞いてもらっていた人に言われたのが
「先生だって人間だからね。その人の器の精一杯が今なんだよ。それ以上を求めてもできないんだよ。」
という言葉。
なんでわからない、なんで・・ばっかり追っていて、精一杯とか思ってみなかった。
そうか精一杯なのか。。。
私がいろいろできない人に言っても、それはクレームとして扱われるという事か。。
そして
「言ってもわからない相手が”お母さん、大変ですね。よくやられていますね”と言わせたら勝ちだよ。」
とも言われた。
この言葉は目から鱗だった。
この言葉の裏には「相手が子どもの特性を理解してくれた」ということなのだ。
私は”勝ち”を勝ちとるために、その日から戦い方を変えました。
実際に学校に行ったのは
①子ども達の現状や特性を担任に伝えること
②学校公開などを見に行き担任の器や力量をみて、どこまでを要求するのかを考えること
この2つ。
あと先生に色々なことを要求するのに”わが子はのほほんをしていいか?”と言えばそうではないので、
①自分の特性を理解すること
②子ども自身が努力をしないといけないところの自覚
③モヤモヤしたり、イライラした時の気持ちのもっていきかた
などを伝えていきました。
この中で①は特に子どもに何百回と伝えていきました。自分をわかることは生きていく上で大切なことですから。
火のないところに煙は立たないし、子ども自身にも課題はあると思うし
一般社会で生きていかないといけないのだから、
今はわからないからもしれないけど、未来にわかっていけばいいなと思って。
先生の力量という部分では、息子は小6から不注意が目立つようになり、期限があるものは計画的にやるということが難しくなってしまいました。
なのでできるだけ、そういうことが絡むことはしないようにお願いしていたいのですが、
「本人がやりたい」
と言ったのでということで、文集委員になってしまいました。
升目に小さい文字を書けないので自分の原稿を書くのもままならないのに、
原稿の依頼に行く期日を守れなくて怒られ、
文集委員として考えないといけない文章を考えられず、
担任は助け舟を先に出すタイプではなかったので、期日が迫ってもSOSが出せず、息子は泣くことが多かったみたい。
個人面談で、
「期日などを関わることは難しいと伝えたと思うのですが。。」
と担任に話をしたのですが、
「本人がやりたいと言ったので。」
と言われ、私の主張は受け入れてもらえませんでした。
よくよく息子に聞いたら、主体的にやりたいと手を挙げたわけではなく、
「誰かいないか?!」
で白羽の矢があたって、息子は断れなかったようです。
やりたいなら誰にでもやらせるのかと思ったし
”できないと思われる子にやらせるならば、先生がフォローしてくれよ。”と思ってしまいました。
人に恵まれる息子なので、小6の担任以外はそこそこ上手くやっていけたように振り返ると思います。
あと思う1つ
私が担任と対峙するのに気をつけていることは、私自身が”担任の先生も大変ですよね”というスタンス。
私でも大変だな。。と思う息子を学校の中で扱っているのですから、大変じゃないわけがないのです。
そうすると角も立ちづらい。
真っ向勝負はお互いにきついですからね。