みんな違ってみんないいは存在しない

この言葉は衝撃でした。

中学に入って1ヶ月目の担任との2者面談で担任から言われた言葉です。

担任に悪意はなくて、私が息子の特性の話をして、6年生の発達検査の結果を渡した時にぼそっていわれたんです。

特別視して欲しいとは言ってるつもりはなかったし、「こういう子だ」というのをわかって欲しい、何かあった時に助けて欲しい、というのが私の思いだったのですが、この言葉を聞いて“まじかー”と思った記憶があります。

教育テレビでも、公共のCMでも

「みんなに違ってみんないい」

と言ってるじゃないですか。

なのに、末端である子どもに関わる学校がそれを真っ向から否定するって、どういうことよ、と思いました。

その時は理解できなかったけど、息子の中学時代を終えて、この時の担任の言葉の意味が今は理解できます。

良いも悪いも、中学時代って、思春期特有の「みんな一緒がいい」という雰囲気が存在しちゃうんですよ。

みんな一緒が心地よい

みんな一緒だと安心する

そうしないと仲間から弾かれる

その思いが思春期の子ども達の内面に存在するので、集団心理が働き、仲間はずれにしたり無視したり、からかったり‥‥そんなことが加速しやすくなります。

集団心理って本当に厄介なものです。

高校に入ってしまえば、かなり世界が広がりますが、中学生の世界はとても閉鎖的です。

給食も1人では食べてはいけなし、休み時間はスマホをいじくったりできないから、友達と話すしかない。

友達との距離感も近くて、友達関係が上手くいかなくなると、学校生活全体が上手くいかなくなったように感じてしまう。

全部連鎖してくるんですね。

息子は中学3年間、「仮面ライダーが好き」というのと「ゴジラ好き」というのを自己紹介で貫き通しました。

この自己紹介で中1、中2は集団から目の敵にされ、意地悪されたり無視されたり、気味悪がられたりしました。

現代特有なのは、SNSの中でもそういったことは起こり、学校が終わったあとでも継続するということです。またSNSは顔が見えないから、エスカレートしてしまいやすい傾向にあります。

息子自身も友達関係でかなり悩んだし、嫌な思いもしたと思います。

息子はそれでも、自分の好きな物を好きと言って何が悪い、と貫いて、最終的には「仮面ライダーくん」とあだ名が付けられるほどになりました。

ここまでくると立派。

ただね、息子だけの努力と根性だけで、それを勝ち取ったか?と言えば違います。

友達関係に悩んだり、友達にからかわれ嫌な気分になってしまった息子のために、親は見えないところで奔走してました。

息子から学校の状況を聞き出し、息子が自信を無くす前に、担任と話しをしたり、担任に息子を呼び出してもらう手紙を書き、息子の話を直接、担任に聞いてもらう環境を整えました。

息子は最初こそ事情を書いた手紙を書いて欲しいと言ってましたが、それによりクラス内の状況が変わることを目の辺りにして、自分が言ったとパれるのが気になり、そこからは、自分を呼び出してもらう作戦に出るようになりました。

何回手紙を書いただろう。

中2のほぼいじめと言える状態になった時は、証拠がないと学校は対応してくれないので、証拠となるものを、ママ友繋がりで集めて学校に提出しました。

この時は校長先生から電話があり、校長室まで夫婦で伺いました。

そんな親の働きもあって、息子自身は中学時代という時代を超えていくことが出来たのだの思っています。

中学生になると親は、急に手を離したくなります。

「もう中学生なんだから」と。

でもね、まだ中学生なんです。

子ども自身が与えられた環境を切り開いていくことも大切ですが、そのためには親が環境を整えてあげないと、切り開いていくことはできません。

だから親が目をかけて、時には手をかけてあげることが大切になんですね。

それも思春期特有の親への葛藤もあるでしょうから、親がメインにならないように、子どもを立てながら、というのが大事になってくるように思います。