専門の施設で間違った発達支援

私は仕事柄、発達障害と呼ばれる子ども達の乳幼児期にかかわることが多いです。
 
昔はそういった子どもたちを支援する施設は本当に少なかった。


そして愛の手帳とか身障者手帳などを持っていないと専門家からの指導は受けられず、自宅や保育園ではどうすることが子どものために良いことなのかわからず、手探りな状態でした。
 
今は行政がかかわる療育センターといわれる施設以外にも、民間の施設も増えてきました。
 
ただ、この療育という世界は経験がものをいう世界であり、指導する人の力量や考え方、感性に左右される世界でもあります。


なので、ずれてしまったいる指導というものも存在するもの事実です。
 

A子さんは5歳児。
認識の面でゆっくりさが0歳児の時からありました。
 
パターンだと入りやすく、一日の流れも一定だとわかりやすいのですが、順番が変化したりその時々でやることが変化すると、次に何をしたらいいのかわからなくなってしまうことが多くありました。


行動面だけでなく人との関りもパターン化しやすい面もあり、3歳児になってからは謝れない友達に対して
「ごめんねと言って。」
と幾度となく詰め寄ることが多くありました。
 
逆に自分が何かを友達に対して、謝ったのにもかかわらず許してくれない場合も
「何で謝ったのに許してくれないの。」
と友達を追いかけまわすこともありました。
 
その都度、
「本当は謝りたいけど(友達は)今は言うことができない。」
とか
「(A子さんが)謝ったとしても許せない場合もある。」
といった話をA子さんにはしてきましたが、
感情面は見えないからこそわかりづらく、伝わらないな、ということが多く
 
全体的に、ロボットのように対応が感じることが4歳児の時から増えてきました。 

A子さんの保護者の方も実はパターンが入りやすい方で、朝の支度などやり方が変わってしまうと、
「○○を忘れていますよ。」
と伝えても、
「すいません。次からは必ず・・・」
と言いながらも次の日もできていないということが多くありました。
 
また秋には旅行に行くなど、家族内の行事も時期や回数や場所が決まっており、そこに急遽保護者会などが入ってしまったり、遠足が入ってしまうと、保護者の方がパニックになってしまう、ということがありました。

A子さん自身は、3歳児になってから本格的な療育に行くようになりました。


保護者の方が周囲に心配を漏らすと
「こういう療育がある。」
と紹介され、行ってみるとA子さんも喜ぶので、民間の療育も含めると、3つの施設をトータルで、月に10回以上療育に通う生活をしていました。
 

4歳児なったA子さんはゲームで負けるとパニックになることが増えました。


トランプで負けるとトランプを破り、カードゲームで負けるとカードを叩きつける。


自分が1番でないと納得できない。


そんな姿をみた保護者の方は、パニックの対応ができなくて、自宅でカードゲームやトランプをやったときに、A子さんが勝つようにしてきました。

それがA子さんの負けるとパニックになるということを助長させてしまった部分がありました。
 
療育でも同じような姿があったようで、その時にある療育で勧められたのが
「負けた時に”悔しくない”という」
という指導でした。
 
療育でもカードゲームをやって負けると
「悔しくない」
といい、自宅で行うときもその課題が出されたので、自宅でもカードゲームで負けた時は
「悔しくない」
と言う。

保護者の方も真面目な方なので、毎日のようにカードゲームを行っていました。
 
その時の保育園との連絡ノートには
「カードゲームで負けた時のやり方を毎日教えています。」
と書かれていました。


半年ぐらいして、カードゲームをしても、A子さんのパニックはなくなりました。
 
しかしその代わり感情がわからなくなって、感情が見えないロボットのようになってしまっているA子さんに出会うことが増えていきました。
 


子どもは感情が豊かな生き物だと私は思います。
喜怒哀楽を言葉だけでなく体などで表現できるのは子どもだけの特権です。
 
その喜怒哀楽が見えづらい子どもになってしまったということです。
 
 

A子さんの5歳児の保育園での目標は「脱ロボット化」
ロボット化してしまったA子さんに”感情”を教えていくということです。

悲しかったら泣いてもいい。
怒っているならば怒っていい。
嬉しいならば笑っていい。
 
友達と喧嘩をして怒ってパニックになっているA子さんに
「○○ちゃんに怒っているんだね。」
と声をかけ、
仲間に入れてもらえないことで哀しい思いをしたら
「哀しかったね。」
と声をかける。
 
心の中にある思いや感情と、それに当てはまる言葉をそこにつなげていく作業をしていきました。


保護者にもロボット化とは言いませんでしたが
「心で思っていることと感情の言葉が結びつくようにかかわっています。」
ということを伝えていきました。
 


保護者の方は感情を扱うことが苦手だったようで、自宅でカードゲームに負けた時に、

なぜA子さんがカードを破くのか?

パニックになるのか?

がわからなかったようです。


カードを破く理由は一つしかありません。
 
”負けたことが悔しいからです”
 
だから、A子さんは”悔しい”ということがわからなくなっていました。
”負けても悔しくない”ということを教え?刷り?込まれてしまったからです。
 


運動会のリレーで負けて友達が悔しくて泣いていても、その思いがわからず
「何で泣いているの?」
と声をかけてしまったり、
できないことを悔しがって一生懸命に取り組む子の行動が理解できませんでした。
 
そんなときの大人の関りは
「友達は負けたことが悔しくて泣いているんだよ。」
と行動の意味をA子さんに伝えていきました。

5歳児も終盤になったころ、A子さん自身が負けたことが悔しくて泣く姿が少しずつみられてきました。

哀しかったら泣いていい。楽しかったら笑っていい。
ロボット化した心が少しずつ感情を取り戻し、人間味を帯びてきました。

良い傾向です。
 
保護者と面談をしたときに、単刀直入には言いませんでしたが、5歳児で行っていた脱ロボット化について話をしました。

その時に
「あの時の”悔しくない”という指導が原因かも。。」
と保護者から話があり、4歳児でのある療育での指導をについての話をしてくれました。
 
その話を聞いて私は
「そうだったのか。」
と思ったし、

保護者はその指導を疑問に思わなかったんだろうか?と思いましたが、
保護者も困っていたのは事実で、その時の指導には救われた部分が少なからずあったのだと思います。
 


悔しいという表現をものを破いたり、自分を痛めつけたり。。
そういった行動として表現してしまうことはよくないけれど、

悔しい気持ちを”悔しくない”と片付けてしまう指導は、感情を抑えることに繋がり、感情の持っていきま場がなくなってしまいます。
 
「気持ちを抑えるのではなく、その悔しい気持ちをどう表現するのかがわかるとよかったですよね。」
と保護者に伝えると
「確かにそうですね。」
と言っていました。


これは今だから保護者は納得できたのだと思います。
4歳児の大変な時に話をしても入らなかったでしょう。

今わかってよかったなとしみじみ思いました。


 
子どもは感情の言葉を知りません。


哀しくて暴れている子どもに大人が
「哀しかったね」
と伝えていくことで、”そうかこの気持ちは哀しいんだ”ということを理解していきます。
楽しいことも、
「楽しいね」
と言われたり、周りが楽しそうにすることで理解していくのです。
 
感情の理解がなかなか難しい発達凸凹さんには、そういう感情と言葉を結びつける作業を自分だけでは行えないので、周りの大人が幾度となく伝えていく中で少しずつ理解していくのです。
 


A子さんについては小学校に行く前に、感情の理解が少しでも保護者がわかってよかったのと、”悔しくない”と指導した療育の施設の担当者は大丈夫なのか?と思ったのは事実。


感情の理解が発達の凸凹さんはできないのわかっているよね?という感じ。
 
私がこの話で思ったのは、専門家だからといって全ての指導があっているとは限らないということ。

なので大切なのは、その指導を一歩引いてみる、ということなのかも知れません。