一般社会で生きていくであろうADHDの特性をもつ子供を育てる苦悩

息子は小6になりました。
思春期に片足を突っ込んできました。
 
言い返されることも増えて
それは思春期だから?と思って
病院に聞いたら
「それはADHDの特性です。」
と臨床心理士の方に言われて
これからやってくる【思春期】が怖くなりました。
 

親として思うこと

 
このところ、思うことがあります。
 

ADHDの息子の対応について、息子がコントロールがつかず 
 
息子には普通のことなんだけど
 
・私に欲しいフィギュアについて、延々、何時間も語り続ける。
・ほしい衝動が止まらない。
・「もう言わないで」といっても、5分もしないで言ってくる。
・怒ると逆ギレされる。

といったことが毎日、続いています。
 

メディアが発展し
youtubeとかで本人が気軽に情報を仕入れられるようになったのも原因の一つだとは思います。
 
 
なので何回かに1回はメディア断ちを行います。
 

心がフラットな状態でも同じことが日に
何度も繰り返される毎日に 
私は本当にウンザリしてしまいます。
 
夫にはそこまで強くは言いません。
怒られることがわかっているから。
 
本人なりにわきまえているんですね。
 

息子は可愛いと思うけど
彼の特性を受け入れてあけたいと思うけど
受け止める私も生きてるわけで
心の器も日々変化。 
 

さすがに仕事とかで神経をすり減らした日は
顔すら見るのか嫌になります。
 

 

夫はというと息子に
「ママは一番にお前のことを考えている。パパは嫌いになってもいいけど、ママを悲しませることはするな。」
と話します。
 
最初はその言葉に感動したけど。。。

 

そんないい親じゃ私はないし
息子を怒鳴ったりするし、罵ったりもする。
 

何より”子供に好かれなくていい”という夫の発言に苛立つ。
本当に嫌われたら、夫はショックをうける癖に。
 

 

息子の中で育っている社会性

今年は、コロナが流行り、行動に制限があります。
 
大人にも子供にもストレスがかかっています。

 

息子の年齢が上がり、周りも見えるようになりました。
 
できること、できないことが、より明確になり
息子もそれがわかるようになりました。
 
漢字は全くできません。

5点のテストを息子は笑って話すけど
自信はないことも増えたと見ていて感じます。
 

息子自身は社会や学校に適応しようと
日々、努力している状態。
なので学校で行動が目立つことはなくなりました。
 

 
でも、頑張ればもっとできないかな?と思うことも私には多く思ってしまうのです。

 

たとえば・・・
自分の意にそぐわないことは、最初は大抵抗します。
でも最後は受け入れる。
だったら”最初から”yes”と言えばいいのに”って思うんだよね。
 
抵抗しているときの悪態のつきっぷりにイラッとする。

 

いい加減にしろ!と言いたくなる。
 

夫にこの話をしたときは

「子供に期待しない親はいないよ。」

と言われて、救われた気持ちになりました。

 

 

“息子は息子なりに頑張っているんよ“
とか周りの人は言います。
 

だけどさ、私に見せる姿は甘えもあり、あまり変わっていません。
 
逆に甘えが増大しヒドくなる。
 

例えば、
「お願いだからもう(言うのを)やめて」
と叫んでも、息子はやめられない。
「わかった」
と言っても、5分後には言う。
 

これは一種の衝動性だと思っています。
 

専門家に相談したら
「もう少し本人の成長を待ちましょう」
と言われること多々。

 

いやいや、いつまで待てばいいんだろうか。

 

期限が見えないから、暗闇に入ったようで、私が息苦しいです。
 

また医師に相談すれば、
「内服薬を増やす」
といわれます。
 
息子を薬漬けにはしたくない。 

 

ソーシャルスキルを学んでほしいと思うけど、それは社会の中で育つもの。

 

一番小さい社会=家族なんですよね。

 

職場でこの話をすると
「ちゃんと言えばわかるでしょうに。なんでわからないの?」
と言われたり、態度をとられます。

 

だってそれが息子の衝動性の現れ。

 
多動とかが収まってきて出てくる衝動性は、子どもによって違うことは理解されない。
 
また育ててない人に何がわかるんだ、とも思う。

 

同年代の子供をもつ同僚の子供が聞き分けのいい話を聞くと、うらやましくも思えるし、私の中に劣等感が生まれてくることも。 

私については
「よくやってる」
と言われることもあるけど、手応えがない。

 
 

【普通】という枠の中でいきていかないといけない息子へ

目の前の息子は、一般社会で生きていかないといけないADHD。
障害者手帳も2次障害が出なければ、多分もらうことはないADHDなのです。
 
【普通】という枠の中で彼は生きていかないといけない。
 
偏りは誰でもあるんだけど
その偏りを受け入れられる世の中に10年後、なっているとは私は思えない。
そこまで社会が柔軟になるとは思えない。
 

 
診断を受けたからといって、することは変わっていない。

 

診断に納得したからこそ、
そこから支援のあり方を導き出してる状態。

間違ってないと思うけど、これでいいのだろうか。
心配する周囲から言われるアドバイス。
 
それもうざったく感じる。
 

 

「親の会で聞いてみたら?」
と言われたが、親の会は
息子のようなごく軽度な子はいないことが多い。
 
熱心な親も多いが、
逆に偏っている親も多いので
傷つくことも多い。

 
 
診断を受けるときは
社会的な弱者になったときが多い気がする。
社会で適応できなかった。
育てづらかった。
 
だから診断を受ける。
 

私は息子を社会から守るために診断を受けることにした経緯がある。
それがなければ受けなかったと思う。
 

関連記事→息子が発達検査をうけることになりました

 

今も受けたことがよかったのか?自問自答することもあります。
 
息子には特性があるが、学校生活の中で
問題はなくなったから。 

 
それは彼が一生懸命、学校という社会で学び
周りの大人に恵まれた結果だと思う。
 

 
私は息子にADHDについて話をしています。
それは、喧嘩をした際に
「俺は正常だ!」
と言われたことがきっかけ。
 
自分自身が自分の特性をわかり
対処していくことを身につけてほしいと思っているから。

 

関連記事→発達検査を息子に話しました。 

 
親ができることは限られています。
だから息子が自分の力で切り開いていけるように
何ができるか?と考えた結果、
ADHDについて話をするということをしたのです。

果たして本当に息子は私が親で良かったのだろうか。
 
 

いろんなことを勉強してきた私ですら、この状態。
 
勉強をして思うのは、息子のようなごく軽度の子は
症例には少ないということ。

 

そのまま社会の中で問題がなければ
生きていけるということなのかもしれない。
 

ただ、そのためには親は何十倍も頑張らないといけない。
 
それって・・辛い
 

そんなことを思った時に・・・

 

手を出しなくないけど、どうすることもできなくて
手を挙げてる親御さんもいるんじゃないかな、と思いました。
  

泣きながら子供を叩いている親がこの世の中にはいっぱいいるではないか。
 

優しさだけじゃ、思春期にはいる息子を支えてはやれない。
これは小5後半から感じてきたこと。

愛がないと息子は生きていけない。
 
心を強く持てない傾向があるように感じている。
 
要は”その一歩を越えてほしい”ができない。
 

 

それは怒られている回数が多いから??
自己肯定感が低いから?

どれも当てはまらない気がしている。

 
 
こういった子供の特性なのかな?
 
どうなんだろう。。
 

ここ最近思うのは
親は先に死ぬから息子が生きていく道を
親としてある程度示してやらないといけない。
  

私自身、先のみえない闇の中で
一生懸命に試行錯誤を繰り返している状態。
 

でも、目の前の息子は成長していくし、待ってないのだよ。

私が心が強くないとやっていけない。
おれそうな心を一生懸命に折れないように支えながら、前を向く。