発達障害の診断はゴールではない!そこからはじまる世界がある
発達障害、ADHDとしたいのは社会なんじゃなかろうか??
息子が小学4年でADHDと診断を受けました。
職場でも、ヒーリングの相談でも、発達障害やグレーゾーンと言われる子たちの相談が多いです。
私は息子は
「多分、発達障害だろうなぁ。」
と思いながら、幼少期より接してきました。
息子自身に感覚の過敏や小さなこだわりが幼少期からあったからです。
それでも息子は息子なりに成長をしていたので、様子をみてきました。
個性の範囲という大きなくくりで言われれば、その範囲に収まる感じではあったのもあります。
出会う人に恵まれた息子は、友達や周りの大人(友達の保護者や担任)に恵まれていました。
息子を分かろうとしてくれる人たちが、息子の周りにたくさんいたので、”発達障害のグレーゾーンのまま、診断はうけないでもいいかな”と思って過ごしてきました。
また、常識の枠にはめることを私が好まなかったのもあります。
「”息子”を1人の人間として扱う」
と思ってきたし、
「息子の個性を潰さないように」
と意識して育ててきました。
その育て方に夫も賛同してくれたので、共に息子の成長を見守りました。
しかし今回、”社会”という壁につまづくことになってしまいました。
何がいいか?わからなかったけれど、
息子を守るために発達障害の診断を受けて、
とりあえず白黒をはっきりさせてみようと思いました。
そしてADHDの診断をうけたのです。
診断をうけて、息子のまわりの、息子のみる目が変わりました。
嫌悪感で息子をみていた周りの大人が優しくなりました。
明らかにつまづいた社会から、受け入れられる状況になりました。
社会からはじかれることは減りました。
だけど親として思うのです。
人としての尊厳は発達障害であっても、そうでなくても一緒。
その子の特性を”個性”と捉えず、”病気”としてしまうのは、社会がしたいだけなんじゃないか?と。
多動性や衝動性のある子供には薬物療法が有効ではあります。
ただそれも薬物療法は親が主流なのです。
親の判断1つで変わってしまうのです。
社会からの受け皿があったら薬物療法のやり方は、少しは変わってくるのではないかと思うのです。
ADHDも発達障害も脳の病気とは言われていますが…
”そんな子いるよね~”となっていたら
”(息子の行動に)何やってんのよ~”と周りがしてくれたら、
息子は発達障害の診断は受けようとは思いませんでした。
そんな優しい社会が昔はあったと思うのです。
今は発達障害においては、早期発見、早期治療と言われています。
未就学児は療育センターなど受け皿が多いけど、小学生になったらそういった場所は、一気に減ります。
通級に通いたくても、定員が決まっていて通えない子達がいるのが現実です。
一番社会からの支援が必要な時期に、
支援が受けられなくなり、“家庭内で頑張って”というような雰囲気に変わるのです。
そして親は子供の対応に苦しみます。
発達障害の子供の社会性を養うのは、親だけでは限界があるからです。
社会がそういった子を理解してくれたら、もっと生きやすい社会になると思うのです。
社会に求めてばかりいても、親として子供とどう向き合うか?は、親と子の関係の中で大切なことです。
一番最小単位の社会は“家族”ですから。
そこの関係が一番子供に影響力があります。
発達障害の子ども達は、つまづきや達成へのステップが人より多くなります。
その一つ一つをクリアし、経験を積んでいくことが大事になってきます。
発達障害の診断は、ゴールに見えやすいですが、実はスタートであり、はじまりです。
その診断をうけて、どういう風に我が子と向き合っていくか、それが大事な